海千山千會
石狩 竹篦 胤(つぐ)
時を超えて創られる
日本古来のUL小道具
UL道具は簡素なものを選びがちな僕だが、小刀だけは特別なものを持ちたいと長年思っていた。
砥石で刃を育て、刃の峰から柄までを愛でられる刀を。
自分だけの小刀を探求する途中で古来日本では竹を道具として生活に取り入れてきたが、竹は刃物の代わりとしても用いられていた事を知った。
竹篦は鋼刀のようにスパッと切れるものではないが果実を割り、菓子楊枝のように刺したりカップの内を拭ったりとULカトラリーとしても面白い題材だと感じた。
優れたバンブーロッドビルダーは腕利きの釣り人でなくてはならないと断言する望月雄大さんは 大雪山を望む上富良野の自宅で特注のフライロッドを作る職人だ。
彼は早朝一つ一つの竹と向き 合い、素性を活かしてその一本を削っていく。
魂を込めて見つめる先に、竹それぞれの癖がしな りの個性となって輝きだす瞬間だ。
手の中に気持ちよく馴染んで収まるこの竹篦は気がつくと人差し指や親指、様々な指の動かし方で握っていることに気づく。
まるで身体が先人の人々の道具の使い方を覚えているかのように。
時代を超え、現代の山中で是非あなたに感じたままに使ってもらいたいと思う。
海千山千會 千代田高史
時以竹刀 截其兒臍
そのとき竹の刀でその生まれた子たちの臍緒を切った
其所棄竹刀 終成竹林
その竹の刀を棄てたところは後に竹薮となった
これは『日本書紀』神代下第九段第三の一書の中の一場面で、鹿葦津姫(木花開耶姫)が火中で三柱の御子、火明命、火進命、火折彦火火出見尊を出産した時に子供のへその緒を竹の刀で切り、棄てた竹の刀が竹屋という竹薮になったというエピソードだ。誕生した長子は隼人の祖とされる海幸彦、末っ子は山幸彦で神武天皇の祖父。薩摩半島の阿多地方を舞台にした物語とされている。へその緒を竹の刀で切る話は他にもあり、十二世紀末『餓鬼草紙』第二段にある産屋の場面にはへその緒を切ろうとしている産婆の手に竹の刀が描かれている。この風習は近世に入っても続き、男子なら雌竹、女子なら雄竹で作った竹の刀が用いられた。
インドネシアやマレーシアではこの習慣が昔からあった。海洋民族のスラウェシ島のブギス族は、へその緒を切る際には竹竿などに使った古竹を割いて竹刀とした。竹の刀を用いるのは産まれた子の将来を祝福するためであった。
金属刀ではなく、竹の呪力を信じるがゆえに竹刀を用いた。(沖浦和光『竹の民族誌』岩波新書)古来竹は食、薬、生活用具、道具、資材、乗り物、装身具、楽器、武具、依代や結界に利用され、その利用価値に秀でた事は竹冠の文字の多さからもわかる。そして霊力があると信じられてきた。
岩手県などではへその緒を切るという言葉を忌み、へその緒をつぐと言うらしい。呪術的な要素も持ち合わせていた産婆の竹の刀でへその緒を切るというのは、精霊と竹の霊力の恩恵に預かり新しい命を授かりそして受け継ぐこと。出産とは本来恭しい儀式であった事を忘れてはいけない。
ところで海千山千會の竹篦は竹を削った簡素なものだ。昔なら庭の片隅か物置にでも竹材はあり、新聞紙を敷いて肥後守一本で誰でもこさえていた。勿論この竹篦は、卓越した技術を必要とするフライフィッシング用バンブーロッド作家の望月さんが作るもので、竹の癖とりから素人が容易に真似出来る類いのものではない。しかしこの竹篦が古代から人類が己の手で綿々と物を作ってきた歴史の象徴の様に僕には思える。手を動かして物を作らなくなった現代人に、それでも人は物を作る生き物だということを継いで欲しいと願う。
海千山千會 立沢木守
作家紹介
■望月雄太
1976年山梨県生まれ
アウトドアメーカーでのキャリアを経てフライフィッシング用のバンブーロッドを製作するために、
大自然に恵まれフィールドが近い北海道の富良野に拠点を移す。
竹材への豊富な知識と竹竿製作で培われた高度な技術を生かして 竹篦は一本一本製作される。
SPEC / 商品スペック
COLUMNコラム
お手入れは汚れを落とし、たまにオイルで拭き上げてください。時と共に何とも言えない肌ツヤになっていきます。
オイルは竹刀の手入れにも使われるくるみ油がおすすめですが、お手元にあるオリーブオイル、オレンジオイル、、、等
ご自身のお気に入りのオイルを使ってみてください。
お守りとして、道具として、永く愛用しできるはずです。
writing / Chiyo