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岩の惑星 2025-10-19
「……何だ、あれは。」
僕はいま、“ジャンダルム”なんて名前が付けられた、巨大な岩の前に立っている。

北アルプスは何度も歩いてきたけれど、ここは別格。
まるで異世界のようだ。
その岩から放たれるのは圧倒的なパワーと、同時に押し寄せる“違和感”。
生き物のようで、どこか人工物のような悍ましさ、禍々しさ。
雄大さと引き換えに、底知れぬ恐怖がある。


隣にいるのはMLG福岡の店長、横山(以後セイジ兄さん)。
そんなセイジ兄さんが急に語り出す。
「ケロの今感じてることは正解だよ。岩は生きてるんだ。」
「……はい?」
「岩って、元々は水や風に運ばれた粒子やプランクトン、砂や泥の集合体。
それが長い年月をかけて固まり、海から地上に這い出てきたものなんだ。
岩は振動を感知して吸収する。人間の感情も、全部ね。」
「“岩との対話”だよ」
そう言って兄さんは笑った。
この山域を抜けると、心も身体もスッキリするという。
岩が僕らの感情を吸い取り、何かを返してくれるのだそうだ。

なるほど。
僕は昔に読んだ学術書の一節を思い出していた。
地球上には静止しているものは何もない。
全てが微細な振動を持ち、常に変化している、と。
火成岩はマグマの振動から生まれた。
マグマそのものが地球の鼓動だ。
このジャンダルムという巨岩はどんな振動を受け、どう変化してきたのだろう。
いまも僕の恐怖や怯えの波を、吸い込んでいるのかもしれない。


そんなことを考えながらぼーっとしてると、遠くから「おーい」と声が飛ぶ。
思考が現実に引き戻される。
いやしかし、このルート……普通に怖い。
あんな絶壁、誰が好き好んで登るんだ。


MLGクルーみんなで山に行くことはあっても、兄さんと二人は初めてだ。
岳沢を拠点に、重太郎新道から奥穂高、馬の背、ロバの耳を越えてジャンダルムを目指す。
何度も「冗談じゃないよ」と呟いた。
今回は“間違えたら死ぬ”という感覚が常につきまとう。
死と隣り合わせの数時間は精神的に参るが、そんな過酷な中でも植物の香りを楽しんだり、急に岩と対話を始めるセイジ兄さんは只者じゃないというか正直、鬼畜だ。
身のこなしは驚くほど軽やかで、まるでマウンテンゴート(シロイワヤギ)のようだ。
僕はというと、置いていかれそうになりながら必死に着いて行くのが精一杯。
見失ったと思えば兄さんは岩と喋っている。


岩場は続く。標高3,000m、ほぼ崖の中でも人はチラホラと居る。
僕はふと思う。
「この人たちは、なぜこんなところにあえて行くんだろう?」

今回は誘われたから来た。
自分から行こうとは、正直あまり思わない。
それでも、進むうちに少しずつ体が馴染んでいく。
VIVOを伝って見えない足場を感じ取り、手元に集中していると、
いつの間にか身体全体が一本の線で繋がったように動き出す。
グイグイ登れるようになっていた。
動物の身体ってすごい。
そう思った瞬間、自分の中に少しの“進化”を感じた。
「人は、本能的に進化を求めているのかもしれない。」
達成感とか目的は人それぞれだ。
けれど僕にとっての喜びは、進化かも。
マイナスだった自分がゼロに戻り、そこから少しずつ前へ進む。
その過程が、楽しい。
極限の境地で得た、小さな気づきだった。


ふと見上げると、高山蝶が舞っていた。
荒々しい岩の中に、色鮮やかな命。
キベリタテハを見て「ドリスっぽいね」、
クジャクチョウを見て「ギャルソンっぽい」と笑う。
2人とも服やファッションが好きでそんなくだらない会話が、やけに心地よかった。


気づけば、ジャンダルムの頂上にいた。
あっけないほどに、登頂。
天気は晴れてて360度、最高の景色が広がる。
でも、あの異様な岩の上に“居てはいけない気配”を感じる。
言葉にできない違和感だけが、残った。


下山は天狗沢。
大岩に囲まれた無音の世界。
岩が転がるたび、爆発のような音が響く。
会話は無く、慎重に、静かに下る。
途中で寄ったバリエーションルートの畳岩では、兄さんが岩の上で寝転がりながら一言。

「どうしてこんな形になったんだろうね。」
気づけば、僕も岩に夢中になっていた。


2人ともルーファイに頭や神経を使ったのか、下山中はずっとメロンクリームソーダの話で持ちきりだった。
とにかく糖分を求めていた。
下山した拠点の岳沢ではビールの前に身体に悪そうな炭酸飲料を流し込んで、達成感に酔いしれる。

仲良さそうなおじさん2人の背中が夕日に照らされて、なんかよかった。最高だね。

そもそも今回の旅についてだが、僕は常に未知の世界への興味、興奮、探究心がある(興味の湧いたことに限る)
僕とセイジ兄さんはお互いに生き物好きで、MLGクルーの中でも唯一対等に生き物の話で盛り上がれる存在。
そんな兄さんがあれだけ"岩という物体"に興奮している理由。そしてそんな兄さんの山の楽しみ方への興味。
生き物好き同士の兄さんと僕が、“岩という生命体”を通じて再び自然を学ぶ時間でもあった。
そして当初の予定はバリエーションルートである「南陵」にチャレンジする予定でもあった。
夏の南アルプスに続いて、未開拓ルートへの興奮もあって今回の旅が決まった。

実際のところ南陵を目の前にして、兄さんからの一言目が「ヤバイかも」だった。
一瞬で不穏な空気が流れる。
BRUNTONの単眼鏡で覗いてみると、まぁ確かにヤバイ。
とりあえず1日目は岳沢からぐるっと周りつつ、南陵を横から縦から確認して、行けそうなら翌日アタックしよう!なんて話でまとまった。

その日の夜は僕らの大好きなHMGのフラットタープの下で語り合った。
とある生き物の話題で持ちきりである。


子どものようにはしゃぐ43歳。
山の中では僕と打って変わって、人にめっちゃ話しかけていて、陽気な人だな〜という新たな印象。
僕は根っからの陰キャなので、羨ましいくらいだ。
この日の夜は少し雨が降ってきたのだけど、顔に少し降りかかるくらいが気持ちよかった。
途中で起きてタープを張りなおそうと思ったけど、気持ち良いしこのままでいいかと眠りに落ちた。

翌朝。
いつも通り結構、寝た。
早起きしてたセイジ兄さんに雨は大丈夫だったかと聞くと、
「あれくらいが気持ち良いよね〜」とずぶ濡れになってる服を絞りながらニコニコしてた。
この43歳、素敵だ。

道中、セイジ兄は急に木に抱きついたりハイマツが可愛いだの、変態振りが爆発していて「やっぱりこの人、変だ」と再確認できた。
岩と話し、山と遊び、自然と“通じ合う”
またひとつ、山の魅力を感じれた山行だった。

ん?バリエーションルートの南陵ですか?
えーっと、来年に持ち越しです。
