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― 信越五岳110kmから奥信濃100まで ― 2026-07-12
― 信越五岳110kmから奥信濃100まで ―
第一章 身体との対話が始まった日
2019年、僕は信越五岳110kmを走りました。

100kmを超える距離を走り切った達成感はありました。しかし、その一方で心の中にはひとつの疑問が残っていました。
「もっと自然に、もっと長く動き続けられる身体はつくれないだろうか。」
走っている最中、ラストは身体がぼろぼろだった。
その問いが、今回の奥信濃100へとつながる6年間の始まりでした。
翌年の2020年、本格的にVIVOBAREFOOTを履き始めました。
最初はシューズが変わるだけだと思っていましたが、実際に変わったのは歩き方でした。そして走り方、立ち方、身体の使い方まで少しずつ変わっていきました。
足裏から伝わる地面の情報を感じるようになり、「どうすれば疲れずに動けるのか」を自然と考えるようになりました。
そこから毎朝の習慣が始まります。
仕事前に近所の鶴見緑地公園を約10km走る。そのままラジオ体操に参加w
意識していたのはタイムではありません。
今日はどこで着地しているのか。
骨盤はしっかり動いているか。
肩に余計な力は入っていないか。
どんな姿勢なら疲れないのか。
どんなリズムなら呼吸が乱れないのか。
毎朝、自分の身体と会話をするように走り続けました。
週に一度は畑へ向かう前に箕面山を約10~15km。
山へ行けば走ることよりも、その土地を楽しむことを優先していました。
いわゆる100kmレースに向けたロング走は、ほとんど行っていません。(40kmのレース2でも出ていれば、もっと変わっていたのかもしれません。)
強いて言うなら、熊野古道・奥辺路(約105km)や九州脊梁縦走(約90km)でのファストハイキングが、僕にとって最高のトレーニングになっていました。
九州脊梁

熊野古道奥辺路

長時間歩き続けること。荷物を背負うこと。補給を考えること。疲労した身体で判断を続けること。
それはレースのためではなく、純粋に山を楽しむための遊びでした。
でも振り返ると、その遊びが100kmを走り続ける身体を育ててくれていたのです。
僕たちが取り組んでいる「日本開拓ハイキング」。

土地を歩き、水を飲み、人と出会う。
そんな時間そのものが、知らないうちに身体づくりにもなっていました。
奥信濃100は、100kmを走るために練習した成果ではありません。
山を楽しみ続けた6年間が、本当に自分の身体を変えていたのか。
その答えを確かめるための舞台でした。
第二章 100kmは身体との対話だった
― マフェトン法との出会い、そして奥信濃100へ ―
奥信濃100へ向けた準備をしていた頃、レース1ヶ月前にJINDAIJI MOUNTAIN WORKSのあつしくんと練習方法について話す機会がありました。
僕は毎朝のランニングや、普段どんなことを意識しているのかを話しました。
すると彼が一言、
「それって、マフェトン法ですよね。」と言ったのです。
その時初めて、フィル・マフェトンが提唱する「マフェトン法」という考え方を知りました。
調べてみると驚きました。
高い心拍で追い込むのではなく、有酸素能力を高めながら長時間動き続けられる身体を育てること。
心拍数を目安に、自分にとって無理のない強度で積み重ねていくこと。
そこに書かれていた内容は、自分が6年間感覚的に続けてきたことと、とてもよく似ていました。
もちろん、僕は理論を学んで実践していたわけではありません。
毎朝、自分の身体と対話しながら、「疲れない」「壊れない」「長く動き続けられる」身体を探していた結果、たどり着いた方法が、後から知ったマフェトン法という考え方と重なっていたのです。
だから今回のレースでも、タイムはほとんど気にしませんでした。
心拍は130前後。
そのリズムを崩さないことだけを考えました。
登りは無理に走らずパワーハイク。
奥辺路や九州脊梁で繰り返してきた歩き方が、そのまま身体に染み付いていました。
急登でも一定のリズムで登り続け、登り切れば自然とキロ6分30秒から7分ほどのペースへ戻る。
自分の中では「キロ8分で動き続けられれば完走できる」という考えがあったので、終始焦ることはありませんでした。
100kmという距離では、頑張ることよりも、動き続けることが大切です。
もうひとつ意識していたのは戦略でした。

最初のドロップバッグがある27km地点までは、できるだけ空身に近い状態で走る。
そこで後半に必要な補給へ切り替えます。
準備していたのは、その場で食べる食事、行動中に飲むドリンク、そしてウェストベルトに収納する行動食。必要なものだけを持ち、身体への負担を最小限にする。
100kmは脚力だけではなく、身体をマネジメントする競技でもあると考えていました。
ゴールするまで、タイムを追いかけることはありませんでした。

100kmという長い時間、自分の身体が何を感じ、何を求めているのか。その声に耳を傾け続ける。
僕にとって奥信濃100は、身体との対話を楽しむ100kmだったのです。
第三章 道具は身体を邪魔しないものを選ぶ
― ギアとともに見つけた6年間の答え ―

今回の奥信濃100では、「身体との対話」を邪魔しない道具を選びました。
まず背負ったのはOMM UltraFire 5L。
100kmを走り終えて一番印象に残ったのは、「背負っていたことを忘れていた」ということです。
コンプレッション性能が高く、荷物が揺れない。
身体の一部のようなフィット感で、最後までストレスなく走り続けることができました。
27km地点のドロップバッグからは、OMM Stretch Waistbeltを装着。
すぐ取り出したい行動食を収納し、ポール使用禁止区間ではMountain Kingのカーボンポールを一時的に収納しました。
バックパックを下ろすことなく補給や装備を切り替えられたことは、長時間動き続ける上で大きなメリットでした。
一方で、自分自身の反省もあります。
レース1週間前にストレートネックになり、終始首がまがらず胸ポケットの中を覗き込みづらく、「塩分タブレットをどこへ入れたっけ?」と何度も探すことになりました。
その結果、エイドに着くたびに補充し、最後には5〜6個も持ち歩いていたのは思わず笑ってしまう思い出です。
シューズ
VIVOBAREFOOT Trail Flow。
2019年の信越五岳から6年間積み重ねてきた身体を、このシューズで確かめたいと思っていました。足裏から得られる情報を頼りに、自分の身体でバランスを取りながら走る。
Trail Flowは、その感覚を最後まで支えてくれました。走りながら、「痛み始めた膝はどのように着地したら和げれるのだろう?」自問自答しながら70km付近の林道激下りを駆け降りていったのはいい思い出w
ウェア
OMM Core Teeをスタートから夜22時頃まで着替えることなく着用。
朝の涼しさ、日中の暑さ、夜の冷え込みまで、一枚で対応できる温度域の広さには改めて驚かされました。
必携装備のレインウェア
OMM Halo Jacket。
実は2019年の信越五岳でも、その軽さに惹かれて探していましたが、当時は広島に住んでおり、どこにも売っておらず手に入りませんでした。今回は雨が降ることはありませんでしたが、「持っていることを忘れる軽さ」は唯一無二でした。
まとめ

今回の100kmで改めて感じたことがあります。
レースのために身体をつくったのではありません。
毎朝の鶴見緑地ランニング&ラジオ体操。
箕面畑作業前の15km。
そして奥辺路、九州脊梁などのファストハイキング。
日本開拓ハイキングで歩き続けてきた時間。
その日々の山遊びが、結果として100kmという舞台につながっていました。
タイムにも順位にもこだわらず、最後まで自分の身体との対話を楽しめたこと。
それが今回の奥信濃100で得られた一番大きな収穫です。
レースは終わりました。でも身体づくりは終わりませんw歳を重ねても動ける身体でいたい。
LOW IMPACT BOYS(LIB)

僕たちの仲間内では、自分たちのことを冗談交じりにLOW IMPACT BOYS(LIB)と呼んでいます。
30代後半になり、結婚をして、子どもが生まれ、それぞれの生活環境が大きく変わってきました。
昔のように、思い立ったら山へ行き、何日も旅に出ることは簡単ではありません。
気づけばアウトドアから少しずつ距離ができてしまう人もいます。
でも、僕たちはそうはなりたくないと思っています。
だからこそ、限られた時間の中でどう遊ぶのか。
仕事も、家庭も大切にしながら、どうすれば自然の中で遊び続けられるのか。
その答えを、仲間と一緒に実験している最中です。
毎朝の10kmランニングも、そのひとつ。
仕事前の短い時間に身体と向き合うこと。
畑へ向かう前に箕面を走ること。
休日に奥辺路や九州脊梁へ足を延ばすこと。
どれも「特別な挑戦」ではなく、今の自分たちの暮らしの中で無理なく続けられる遊び方です。
僕たちが目指しているのは、アウトドアを生活の外側に置くことではありません。
暮らしの延長線上に、自然があり、山があり、旅があること。
LOW IMPACT BOYS(LIB)は、そんなライフスタイルを模索する、小さな実験チームです。
年齢や環境が変わっても、遊びを諦める理由にはしたくない。
限られた時間だからこそ工夫し、身体を動かし、仲間と笑いながら、日本を開拓していく。
そんな生き方を、これからも続けていきたいと思っています。
明日もまた鶴見緑地を走り、山へ入り、また日本各地を歩く。
その積み重ねが、きっとまた次の山行や次の100kmへとつながっていく。
奥信濃100はゴールではなく、これからも身体と対話を続けていくための、一つの通過点になりました。