海千山千會
首と道 羌(きょう)ちゃん
[道] ドウ(ダウ)みち・みちびく・いう
会意 首と辵(ちゃく)とに従う。古文の字形は首と寸とに従うが、金文に辵と首と又(ゆう)とに従う形の字に作り、のちの導の字にあたる。
首を携えて道を行く意で、おそらく異族の首を携えて、外に通ずる道を進むこと、すなわち除道の行為をいうものであろう。
道を修祓しながら進み導くこと、それが道の初義であった。
ー『字統』白川静(1984)
梅原 私なんか「道」の先生の解釈にはびっくりしました。
異族の首を持って歩くなんて。あれは本物の生首を持って歩いたんですか。
白川 字の構造の上ではそうです。本当にね、首を持って進むという字形です。今は「導」という字ですけどねえ、「導」だと道案内という意味になってしまうけれども、本来は「道」そのものが、そのような呪的対象であった。
ただ自己の支配する領域では、そういうことはやらんのです。
支配の圏外に出る時には、「そこには異族神がおる、我々の祀る霊と違う霊がおる」と考えた、だから祓いながら進まなければならん訳です。ー『呪の思想』白川静X梅原猛(2011)
[導]ドウ(ダウ)みちびく・おしえる
形声 音符は道(どう)。金文では道を首と辵と又とを組み合わせた形に作る字があり、その字が導のもとの字である。
辵(辶)に行くの意味があり、又は手に形、寸も手の意味である。
異族の地に行くとき、異族の人の首を手に持ち、その呪力(呪いの力)で邪霊を祓い清めて進むことを導といい、祓い清められたところを道という。
ー『常用字解』白川静(2003)
古くから河南西部にいた羌族は、一部が華化して姜姓となり、周が殷を滅ぼす以前から姫姓(周候・周王)と通婚関係にあった。
羌族は殷王朝からしばしば戦争奴隷として捕らえられ、眼を潰される、足首を切断される、生贄や除霊として斬首される、また王族の死とともに殺され埋められた。
海千山千會 立沢木守
海千山千會はこれまで山旅のお守りとして千鈴やひとがたを作ってきた。森川まどかさんの作るPeloqoonはデフォルメした目は血走り、時に一つであったりとかわいい生き物に、残酷さや艶かしい姿が重なって見えることで感じる恐怖が特徴だ。
その昔邪気を祓うために奴隷の生首を携帯したという話はなかなかインパクトがあり決して楽しい話ではない。が、我々の羌(きょう)ちゃんをひとりひとり見つめていると時代を越えておしゃべりをしに戻ってきてくれたとさえ感じるのだ。
日本において東海道をはじめとする旧道の峠道は大抵激しい合戦場になった歴史をもつ。大体の場所が美しく開けた場所で富士山が大きく見えたりするが、そこはかつて何百人という人が敗れて亡くなっていった場所なのだ。
そんな道を羌(きょう)ちゃんと歩く。
彼女たちはどのような眼をもってその景色を見つめるのか。
歴史の儚さと現在を横断していく旅に是非連れて行ってあげてほしい。
海千山千會 千代田高史
■ 森川まどか Peloqoon
犬のしぐさから名前がつけられたペロクーンとは、手縫いのぬいぐるみ作家、森川まどかによるもの。かわいい生き物に、残酷さや艶かしい姿が重なって見えることで感じる恐怖が、作品の制作へと突き動かす。そのため生み出されるキャラクターはちょっと怖くて凄く可愛い。
SPEC / 商品スペック
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どの子が届くかはわからないことをご了承くただきご購入ください。
COLUMNコラム
『道』という漢字は、異族の首をもって、外に通じる道を行く。生贄の生首の呪力を用いて、道にうめられているかも知れない邪霊を修祓して進むのを『導』、祓われたところを『道』であると白川静はいう。
『道』という漢字の成り立ちについては白川派も反対派もいる。けれど古代中国商では、奴隷は戦利品として政治的に宗教的に、かけがえない生命(これは現在的な考え)を利用されたことが、漢字の祖である甲骨文字に刻まれていた。
まあ深刻な話はそのくらいにして、ぼくはバックパックにただ単に森川まどかの『首と道』をぶら下げたかったのだ。
writing / Chiyo