海千山千會
千里鈴
子昭が丘をくだってゆくと、ひとりの貴婦人が子昭を待っていた。
婦人のうしろには、多数の侍女と巫女とが、腰をかがめていた。その婦人は子昭の生母の庚であった。
庚は目に涙をたたえ、「かならず、もどってくるのです。王がそなたに剣をおさずけになったのなら、わたしは鈴を贈りましょう」と、いい、手ずから、子昭のなめし皮の帯に鈴をさげた。
鈴の音には邪気を払う力がある。鈴をつけおわったとき、庚の目から涙が落ちた。
ー中略ー
「履(くつ)を濡らしてから、ゆきなさい」
と、いった。子昭の目前に、山積みにされた犬の死骸がある。
血のにおいが鼻を刺した。足もとに小さな血の池ができていた。子昭はいやな顔をするどころか、母に大いに感謝しつつ、その赤黒い液体のなかに履をひたした。
犬の嗅覚は人よりはるかにすぐれていることを、商の人々は知っていた。犬の血にもおなじはたらきがあると考えるのが、このころの常識である。子昭を害そうとする地下の悪霊をいちはやく予知して、かれの足をかばってくれるはずである。商の人々は目にみえぬ外敵を想像する能力にすぐれ、それゆえに、おなじ想像力をつかって、さなざまな防禦の方法を考えだしたのである。宮城野昌光『沈黙の王』
子昭こと武丁(〜BC1192)は、祭祀に三百人もの羌人を犠牲にしたことが甲骨文字によって知られているようだ。『三百羌、用干丁 用三百羌干丁』(藤堂明保『漢字の起源』)
貞う、宰八十人を刖するに、死なざらるか。
(占った、奴隷の八十人の足首を切断するが、死なないか。)
辛未貞う、其れ多宰を民せんか。
(辛未の日に占った、多くの奴隷の目を潰そうか。)
落合淳思氏によると、戦争奴隷は祭祀犠牲にし王の権威を高
める目的に利用されたそうだ。(落合淳思『殷』)
人は思想に縛られるので、今の常識では蚊と犬とを別に扱い、奴隷になることもその逆も同様に嫌悪する。悍ましく残虐な行為に怒りを覚え嘆き悲しむ。しかし現実的には現代においても人は破壊することを辞めていない。
海千山千會 立沢木守
海千山千會の千鈴は現在までに900個ほどつくられ旅立っていった。
チリンと鳴る優しい響きでそれぞれが持ち主と同じ景色を見て冒険をしていると想像する。
コロナ以降、歩くこと自体を楽しむ人が増えた。
我々はVIVOBAREFOOTという裸足そのものの感覚を取り戻す靴を履きながらより身体の声に耳を澄ましながらウォーキングを楽しんでいるが 遊歩大全の書き出しのように歩くという行為がもたらすひらめきや癒しの素晴らしさを実感してやまない。散歩こそ至高!なのである。
上記の立沢さんの靴に血を塗る話はハードではあるが 呪を祓うという点では2016年に初版を作った千鈴と同じ話であり靴紐に取り付ける弟分のこの千里鈴は何も持たない手軽な散歩に最適だ。雑に歩けば音が篭り、丁寧に歩くと良く響く。
小さいが良く響くこの鈴は狐狸妖怪を祓い 心の中にいる恐怖を和らげてくれる。
バックパックすら持ちたくない身体ひとつで楽しむ山にこそ。
クライマーやトレイルランナーにも贈れる特別な千鈴が誕生した。
海千山千會 千代田高史
作家紹介
■ イソガワクミコ
1974年愛知県生まれ
ヒコ・みずのジュエリーカレッジにて彫金を学び 出産をきっかけに自然豊かな沖縄・石垣島に移住、様々な経験と共に鈴を製作する。
現在は生活を兵庫・篠山に移し制作を続けている。
SPEC / 商品スペック
COLUMNコラム
僕は一つの名品ができるとそれに続く続作に対して かなり慎重に選定してしまう。
だがこの鈴は五十川さんが 長年温めてきただけあり、用途としても存在としても 別物の鈴が出来上がったと思う。
僕は山を走るシューズにこの鈴を取り付けているが 嫌な響き方を全くしないこの銀鈴の控えめだけど 心を打つ響きが大好きだ。
ひとりだけどひとりじゃない そんな寄り添い方をしてくれる小さな鈴です。
writing / Chiyo